[本文1268]【十月十五日、蒲松原の孝行を褒賞す。】蒲松原は乃ち渡名喜島の人なり。父は年八十、母は年七十八、年老いて歯弱く、硬物を食するに便ならず。故に毎日の飲食は、父母の好む所に従ひ、妻をして烹調せしむ。且父母大茶を嗜む。故に毎度、那覇より大茶を買ひ来り、毎日両度之れを進む。夏冬、好衣服を供し、冬は則ち薪を採りて以て、其の寒を防ぐ。且那覇に往くの時、珍物を尋ね買ひ、土産と為して之れを進む。父母殊に怡ぶ。且彼の姑は年已に七十歳にして、男子一人有り。家、素、貧にして、男子意の如く供養すること能はず。松原、岳母を其の宅に抜きて之れを養ふこと猶母のごとし。且冊封の時、百姓公事の為に久しく那覇に滞り、飯米欠乏すれば、則ち利無くして銭五百貫を発借して、以て其の食に資す。夫の松原、島に于て善便と謂ふべし。且、渡名喜島に上原仁屋なる者有り。火災に遇ひて、財貨什物統て焼焚せらる。家に余儲無く、極めて窘迫に至る。松原之れを見て、麦一斗・粟五升・銭三十貫を発して以て、之れを済ふ。夫の松原は気量人に過ぐ。故に彼の島の酋長等、公事の為に那覇に到る毎に、心ず他を帯し、内事を掌管せしむ。松原、宣しきを酌み事に処して、万に一失無し。夫の松原は野人為りと雖も、孝行凡ならず、且厥の功小ならず、親戚及び村人に至りても亦和睦を行ひ、挙島亦殊に其の志に感ず。是を以て酋長及び諸百姓具禀し、在番併びに地頭等、朝廷に転達す。法司題奏す、伊の松原は心志凡ならず、若し褒賞を賜はらば、則ち一郷観感せん、請ふ褒賞を腸へと。故に越階して筑登之座敷を嘉腸す。