[本文1281]【十一月十三日、国頭郡楚洲村の、奥村楚江兼久原に遷るを准す。】楚洲村は乾隆元年丙辰に於て営建す。然れども其の地善からず。先年、大風潮揚するに因り、村囲併びに貯蔵、潮を被りて引かる。此れに因りて、郡人相幇けて烽築きて潮を遮る。然れども永くは保たず。且耕作場は、遙かに一里余を隔てて、往還須く時刻を需つべし。且津口善からず、村中の船、遠く一里余の港に繋ぎ、甚だ不便に属す。居民も亦漸く減ず。夫の奥村の東、楚江兼久原は、其の地悉く善し、且楚洲掟を減じて奥掟、其の職を兼務す。故に其の請ふ所を准し、之れを楚江兼久原に遷す。