[本文1305]【三月十四日、与那国島松原夫婦の孝を褒奨す。】与那国島宇玉松原及び妻宇戸那志は、天性孝順なり。乾隆十五年に、其の母、世を没し、父再び妻を娶る。不幸にして父併びに継母、共に結毒を思ひ、躬自ら起坐飲食するを得ず。常に床に臥し屎尿す。且結毒甚だ臭気有り。毎日湯を以て之れを洗ふ。此の時宇戸那志、子を産みて四个月を歴たり。但舅姑を療治し、兼ねて其の子を鞠育し難し。乃ち其の母に托して以て養育を為す。夫妻昼夜輪流して、父母の側に侍居し、心を尽くして調養す。且双親の平生嗜む所の物を各処に購ひて之れを進む。已に七年を歴るも、保養少しも怠惰すること無し。父寿七十有一、母年五十にして死す。又島人と相交りて和睦す。本島各役併びに在番・頭目等村民に粘結して僉呈し、其の事を報明す。朝廷、彼の外島の人にして能く此くの如くなるを嘉し、松原を賞して階越して筑登之座敷に陞せ、并びに白綿布二端を賜ひ、妻を賞して白綿布三端を賜ふ。