[本文1323]【十一月三日、玉城県の総耕作当嶺井等水道を掘闢するの功を褒奨す。】玉城県富里・当山・奥武・志堅原四村の民地の内、二百九石余を収得するの田は、源泉無きに因りて、稼穡に利ならず。旱魃の時に当り稲禾登らずして百姓憂苦す。但総耕作当嶺井親雲上・夫地頭知念筑登之・糸数村仲栄真仁屋三人、倶に水道を掘闢するの見を起し、検者及び四村の頭目等と商議す。乾隆三十五年、百姓を勧励し、富里村仲栄真川、屋武多川・当山村赤嶺川三川の下に于て、石を築き堤を為ること其の長さ六歩・高さ六尺五寸より八尺に至り、流水一区に留蓄す。此れより水道を掘墾して志目期原に至るもの長さ九百四十余歩、野礼原に至るもの長さ六百五十余歩なり。其の内、堅からざるの処は、泥土を掘闢して石を以て之れを築く。今に至り已に七年を歴るも、並しも水旱の患無し。毎年二百余石を収得して、永く百姓の利と為る。各役、由を備へて報明す。随ひて嶺井等三人並びに各其の事に従ふ者を賞して、皆其の位を擢んず。