[本文1344]【五月十七日、名嘉村親雲上の善行を褒奨す。】与那城郡伊計村は、原来、忌辰・節祭並に挙行せず。上届丑年、平安座村前名嘉村親雲上、南風掟に任ずるの時、両総地頭、其れをして伊計村下知役たらしむ。名嘉村、屡々其の村に往きて以て教示を加ふ。又時に男女を喚集し、嘱して曰く、子孫たる者、父祖の忌辰併びに節祭の礼を知らずんば、是れ人間の本心を滅し、誠に然るべからざるなりと。因りて叮嚀に告示す。百姓漸次感発し、是の歳七月、始めて盆祭を行ひ、エムを供備し、香を焼き祭を致す。名嘉村、己の資を折費し掛物神主七十一軸を設造して、各人に分与す。此れより正・七月併びに忌辰・佳節に逢ふ毎に、即ち祭祀を行ふ。又新穀を薦むるの礼を行ひ、以て孝心を尽くす。又平安座村、暴風の災に逢ひ、日食已に欠き、百姓将に糊口以て離散に及ばんとす。名嘉村、己の資を発出して供与するも、利息を加へず。且時に常に食物を給与して猶日食足らず。終に自己の仕明s簿を典に当てて、銅銭を借出し百姓に分借して、其の饑荒を済ふ。又数人有り、渉りて上原村に往き、迷ひて海路を失ひ、将に溺死に及ばんとす。名嘉村、之れを見て小舟に駕去して之れを救ひ、心を加へて療治して以て其の命を活す。名嘉村多く村の便と為り、且人命を救ふ有り。闔郡の各役及び百姓等其の事を報明す。此に因りて褒奨し、勢頭座敷位に陞す。