[本文1347]【六月六日、久志郡大鞁村を兼久原に遷すを准す。】大鞁村は、原、井水無く、只山水を用ふ。是を以て居民、多く病身と為り、死者多く、而して子を生む者少く、以て民居、漸く少きを致す。幸に川田村の東に泉水有るを見て、之れを用ひ、以後病人少し。然れども其の水、遠きに在り、且耕する所の田圃は、村を離るること亦遠し。其の外、百凡の事務に便ならず。夫の川田村の東、兼久原地方は、惟に用水農業の便に副ふのみならず、即ち駅亭往還甚だ便にして、風水も亦善し。又本村の名、器物の名と異ならず。称呼善からずして百姓皆心を安んぜず。此れに因りて各役等、村を兼久原に遷して、名を富久地村と改名して、掟役も亦其の村名を呼ぶことを請ふ。故に准すこと請の如し。