[本文1352]【十月、始めて国頭郡宜名真殿を造り、聖主の拝謁に及ぶ。】往昔、先王尚円、未だ践祚せざるの時、国頭郡宜名真の地に在り。尊ぶ所の竈神、今に至るまで、遺跡猶存す。挙郡の人民、尊敬を為すと雖も、然も公祭に非ず。質朴にして雅ならざる所以なり。馬承基前国頭按司正方、公祭を行ひて、旧跡を光かさんことを禀請す。此れに因りて、毛昌徳コ覇親雲上盛寿に命じて、其の殿を製造せしめ、瓦を以て之れを蓋ひ、村民一人を択選して、立てて看守と為し、其の夫役を免じ、赤八巻位を賜ふ。嗣後、三十二年冬十月、主上、内院より其の遺跡を拝謁す。