[本文1361]【三十二年三月二十八日、渡名喜島の亀上原の孝行を褒賞す。】亀上原は、乃ち渡名喜島の人なり。父は年七十、歯牙衰弱して、便物を吃し難し。毎日の飲食は、父の好む所に従ひ、妻をして烹調して供進せしむ。且父、酒を嗜むに因り、故に那覇に往くの便有る毎に、酒を買ひ来り、毎日両次之れを進む。夏冬の衣服も亦優かに供備す。上原、冬日南畝より回る時は、薪を採りて寒を緩め、又躬ら那覇に往くの時、珍味を買ひ来りて進む。是を以て父甚だ喜怡す。上届亥年、父、年九十有一にして死す。夫れ生けるときは則ち怠慢有ること無く以て孝養を尽くし、死すれば則ち挙島の男女共に厚葬を為す。且兄上原、年三十余にして死し、其の子倶に嬰孩に係る。上原、家事を籌画して、以て助済を為す。今番、其の子倶に成長し、家亦饒足して、兄上原を祭るの礼を欠くること無し。且其の島、災に逢ひ、飲食敷かず。又疱瘡流行するや、上原銭を貧者に借して利息を加へず、以て疱瘡を治す。又農業に老ひ、草芥等の類を拾取腐爛せしめて、其の農を澆肥し、収穫多きを加ふ。島人、因りて其の風に効ひ、皆能く農事に工にして、糞を用ひて、皆農利を得たり。且、島地偏狭にして、大風の時に当り、潮水を吹Dして、薯苗を損傷す。上原、預め茅薄等の類を以て苫を造り、大風将に起らんとするを看見して、薯苗を護覆す。是を以て損傷する所無し。惟に己○の園圃に栽するのみならず、常に多く之れを貯へ、其の剩す所の薯苗を将て、島人に分与す。夫れ上原は、外島の者にして孝行有り。且親戚及び島人に於て、交るに和睦を以てす。況んや本島の為に般々の設を為して、其の便を得しめたるをや。此れに因りて、島人共に其の志に感ず。今般其の年五十余に及ぶ。酋長・在番・地頭等、由を備へて朝廷に声明す。故に階越して筑登之座敷位を嘉賜す。