[本文1363]【本日、渡名喜島の亀桃原の善行を褒奨す。】渡名喜島有る所の坂坡の地は、耕種すること能はず、棄てて間地と為す。亀桃原、思を起すに、彼の処に于て、石を以て築き、上に蘇鉄を植ゑて以て泥土を留むれば、則ち耕種するを得べしと。遂に築起して農畝と為す。島人之れを見て、先を争ひて農圃を作得す。此れ島中の便とする所なり。又曾て蚕、死絶の時、宮平仁也と同に、他島に往き、之れを求めて島中に広む。又与福原耕場に往くの石垣路、碌コとして行き難し。満潮の時、遠く山径に転じて往還を為し、劬労に堪へず。桃原、軫念し、退潮の時に于て、自ら家人を率ゐて海石を取り集め、石を築きて堤と為す。甲午の年三月より工を起し、乙未の年十月に至りて完竣すること長さ七十間・横三尺・高さ二尺五寸なり。此れより以後、往還通じ易く、永く島中の便と為る。又島人有り。海に在りて破船し、将に溺死に及ばんとす。人を募りて同に其の死を救ふ。又曾て烟台司を勤むるの功有り。此れに因り、酋長及び在番・地頭等の職、朝廷に報明す。赤八巻位を奨賜す。