[本文1364]【本日、与那城郡の名嘉村親雲上等の善行を褒奨す。】与那城郡屋慶名・安勢理・饒辺等の村の民地の内、平田原・普那多原・安津多原・穀津利原等の処の田地は、三万五千余坪有り。収得の穀数一百二十二石五斗余なり。皆天水田に係り、小旱の時も、水保ち難く、大旱に当る毎に、禾を栽する能はず、其の租を賠納し、百姓極めて労苦を受く。平安座村前の名嘉村親雲上・地頭代名嘉村親雲上・総耕作当前の饒辺親雲上・同役池味親雲上、相共に商量す、若し堤を松川原に築き、此れより承溝を濬疏すれば、則ち其の田水を保つべしと。遂に其の由を将て、彼の三村の民庶と与に和議するに、僉、謂ふ、人寡く力少にして其の任に勝へずと。又郡庶と細議するに、郡庶、其の議に聴従す。上届申年、堤を築くこと長さ五十二間・横十二間・高さ一丈五尺なり。又承溝を掘り、穀津利原に通ずること長さ三百間、平田原に通ずること長さ二百五十間・高さ各三尺なり。是を以て水常に満足し、普那多原・安津多原に注入す。厥の後、天旱の憂無く、今八年を歴て、風雨に逢ふと雖も、損壊有らず。則ち永保以て各処の便と為るを見る。此れに因りて、百姓、頭目及び各役等、由を備へて朝廷に報明す。随ひて彼の四人及び勤労者を奨して位を賜ふ。