[本文1385]【四月十二日、渡名喜島の蒲戸比嘉・加那比嘉両人の善行を褒賞す。】渡名喜島は、近年稼穡登らず、更に兼ぬるに痢病流行す。島中の貧困者一百四十九人にして、療資及び日食を欠くもの有り。其の島の蒲戸比嘉・加那比嘉の両人、利息を加ふること無く、米二石五斗・粟三石六斗を発借し、其の穀は、豊年を待ちて、以て償還すべきを各人に告知す。且蘇鉄三万二千斤、価銭を収めず、各々配給を致す。是を以て、漸く日を度るの間、又村銭を将て、米穀を買ひ来り、新麦も亦熟して、日食漸く敷きて、身命を全うするを得たり。又、樽比嘉・真佐比嘉・蒲戸渡口三人は、多く借債有りて、謀りて償ふべき無し。銭二千百貫文を将て、利無くして発借し、其の銭は、求め得るの時に于て我に償へと之れを告げて、各々債を償はしむ。且幼穉の時、母親に背かれ、兄蒲戸比嘉、身を前の南風原親雲上に売る。唯、弟加那比嘉一人にては、八十九歳の老父を養ひ難し。兄蒲戸比嘉は、能く主人に事ふ。故に、毎月、暇十日を賜ふ。兄弟相議し、農事・漁猟等の事に拮据し、身を贖ひて家に回る。昼夜力を尽くして営労し遂に家資漸く饒かに、老父の衣食、好く備供するを得て、安頓たらしむ。是を以て、島中の老少、深く感心を為す。夫れ此くの如く、周く多人の難を済ふ。更に兼ぬるに孝心純厚なり。此れに依りて、百姓・保長及び在番・地頭等、由を備へて、朝廷に報明す。随ひて、階越して筑登之座敷位を賞賜す。