[本文1390]【十二月朔日、伊平屋島伊是名村の前の仲田親雲上の功労を褒賞す。】伊平屋島伊是名村は、大雨の時、背後の田水村中の宅内に氾濫し、諸稼亦尽く損痛し、百姓甚だ憂ふ。此に於て、同村前の仲田親雲上、心を留め慮を発し、其の田前に於て、大畦を築起すること長さ一百九十歩・横一歩・高さ三尺余なり。此れより、水東西に流れて村中に入らず。且、屋那覇離地に、多く圃地有り、舟有る者に非されば、以て往還し難し。只浜辺に在りて空しく日時を過すこと、甚だ是れ妨碍なり。仲田、自己の資を損して、二棚船を造り、其れをして往還せしむ。且上届壬辰の年、疫癘の時、窮乏の者に於ては、米二石五斗・焼酒三十沸・醋五沸及び各漬物を発給して、以て療治の資と為し、命を全うするを得しむ。且農事に老い、田圃の美悪に知達す。是を以て、島中の人、土地混乱を致す有るの時は、尽く分ちて授給す。又諸凡の事、皆考を立てて之れが験を計る。平日の行に至りても亦正しく、村人と交りて和睦す。且、阿武加那志の夫と為る。歳も亦八十三に至る。此れに依りて、各保長・掌管役等由を備へて、朝廷に報明す。随ひて座敷位を賞賜す。