[本文1392]【三十七年正月初十日、摩文仁間切波平村を旧籍に遷すを准す。】摩文仁間切波平村は、従来、人、疾病の患無し。但一節不幸の事有り。故に乾隆十八年朝廷に具呈して、籍を今の村に遷す。自後、患病の人多く、漸漸疲苦して、所居の民も亦年増に蓼蓼たり。且用水に至りても、甚だ利便ならず。茲に于て、地理師宮城通事親雲上に請ひて、地理を見せしむるに、説く、旧籍の若く其の方位を改め作らば、則ち宜しく村を構ふべし等語と。最も是れ用水便有り。且旧籍は石原薄地にして、今の村は土地肥沃、若し改めて農場に作らば、則ち益々利有らん。乞ふ、仍旧籍に移るを准せ等の情、村中の百姓呈明し、地理師・酋長・検者・両惣地頭・田地奉行等、印結を加具し前み来る。随ひて即ち允す。