[本文1404]【本年、豊見城郡我那覇村の前の地頭代座安親雲上の善行を褒奨し、座敷位を賜ふ。】豊見城郡我那覇村前の座安親雲上は、掟役より地頭代役に至るまで、能く公務を弁じ、郡中を利す。嘗て掟為りし時、平良・高嶺両村財力衰亡す。是に于て、心を留め慮を発し、毎村、頭目一名を設建し、毎年、分米各一斗二升五合を捐貲し、之れをして善く教へしむ。爾かより以来、百姓漸く興り、諸凡の賊を投納して敢へて遅滞せず。又西掟為りし時、郡中製糖の鍋は、皆私買するに因り、故に鍋歹く価貴し。且其の価値、亦各村のu銭に係りて不便有り。乃ち各役と相議し、額定の官員を禀請す。故に鍋好く価廉く、毎年の製糖も亦時に後れずして利益有り。又南風掟為りし時、毎年賦する所の白沙糖・散沙糖は、各村輪流して製す。但公用に于て多寡の差有り。地性に順ひて亦好歹の等有りて、費す所斉しからず。乃ち各役と相議し、地の宜しきを量りて賦し、其の費用に至りても、均しく郡中に計りて出す。故に費省して糖美に、永く郡中の利と為る。又夫地頭為りし時、民地の内、有る所の水田租米五百石余零の区は、素、潦水に係り、旱魃の時、稲穀登らず、且十九個村並びに播穀の田無く、他郡の田を租借して播種し、甚だ不便有り。乃ち百姓と相議し、三帯の水路を掘墾し、引きて田中に注ぐ。是れより而下、亢旱の患有ること無し。田疇も亦肥え、毎年穫を加ふること二百石余零なり。又其の中に于て、播穀の区を為り、永く郡中の利を致す。是を以て嘗て勢頭座敷位を賞するを蒙る。又伯母三人有りて、日食敷かず。租米各々八斗七升五合の田を分贈し、伯母の死後、之れを以て祭祀の資と為し永く彼の家に付与す。又甲辰・乙巳両歳饑饉の時、己の田簿を発して、村中に交借し、之れをして典して銭文を貸り、方めて性命を保全し、併びに貢税を投納せしむ。且米七斗五升を補賜す。又親族及び村人の饑者に于ても食用を賑賜し、以て餓リを救ふ。又他方より来り、糧食を求むる者に于ても、稀飯及び炒米粉を施賜して、以て性命を全うす。又素より厚く文筆に志し、平生公を兼ねて能く其の力を竭し、深く法帖を肄ふ。壮年以来、戸籍を査編するに逢ふ毎に、諸sを写し得て、以て公用に備ふ。又平生に于て、文書等の類を承任して、以て諸事を弁ず。又郡主尚氏豊見城王子朝儀、倭に行するの牘を書して、以て礼用を達す。又其の筆蹟を求むる者に于ては、書し贈りて辞せず。又郡中、書計を嫺肄する者に于ては、法帖・文書等の類を書き給して、叮嚀に指教す。故を以て頃年以来、郡中奉公の人、好みて文書等の類に通ず。此れ座安、心を秉ること信厚、人と交りて和睦するに因る。故に其の処の民人、習ひて俗、美にして、衆の感ずる所と為る。又其の歳六十有八にして古稀に近し。特に酌量して嘉賞することを祈る等の由、各頭目等具文し、保長併びに検者・両郡主・田地奉行等の印結を貼添して、朝廷に具禀す。仍つて座敷位を褒す。