[本文1408]【勝連郡地頭代浜親雲上等の功労を褒賞す。】勝連郡比嘉村の吉大川原に、十八石余の田有り。潦水田に係り、僅かに旱魃すと雖も、亦水を汲んで田に注ぐの労有り。甚だ耕耨を妨ぐ。大旱の時に当りては、並びに引水の計を施し難し。是れに由りて、貢賦賠納して、百姓至って労苦を為す。幸に浜親雲上有りて、能く籌画を施す。適々其の田の上面に山有り。其の下泉小しく湧出するを見て、彼の浜、以為へらく、深く掘開すれば、則ち以て大泉を得べしと。而して検者の令を承け、玉城筑登之・知念筑登之と商議す。有る所の費需は、浜より以て宮城仁屋・玉城仁屋・樽嶋袋・加那親川・加那玉城・加那知念・三戸大城・松知念・蒲戸玉城・加那親川・真加路新川・加那平良に至るまで倶に担承を為す。上届酉年、山下を掘開するに、果して見る所の如く、泉大い涌出す。各々心力を尽くして掘濬し、石を以て堤坊を築起すること、其の長さ十間・濶さ五間・高さ八尺五寸許りなり。且北方に于て掘開する水道六十三間、又南方に于て自五十一間八合。而して之れを引いて田中に注ぐ。此れよりの後、其の両面の水田、水満ちて涸れず。時に及んで耕褥し、稲苗に至りても亦欠乏の患無く、永く村落の利益を貽す。浜・比嘉両村の耕作当・掟・頭目等具呈し、酋長・検者・両惣地頭・田地奉行、印結を加具して朝廷に禀明す。真に皆絶群出類の功と謂ふべし。是れに由りて、浜を奨して勢頭座敷位を賜ひ、玉城・知念を奨して黄八巻位を賜ひ、宮城・玉城を奨して筑登之位を賜ひ、其の余十人を奨して赤八巻位を賜ふ。