[本文1410]【伊平屋島勢理客村の新城筑登之の善行を褒賞す。】伊平屋島勢理客村の新城筑登之は、父早く世を辞す。兄弟四人にして、新城は第三に係る。賦質孝厚なり。是の故に親族相議し、其れをして家統を襲継せしむ。新城、凡事能く勤勉を為す。是を以て家資漸く足る。嘗て耕作当に充つるや、在任二十余一年、村の為に心を留めて弁理す。又本村後面に於て、三十三段余の水田有り。此れ稲種を播くの区に係る。然れども泉の出づべき無し。旱魁の時に方りて水涸の患有り。是に于て、村民を振ひ勧めて、小塘を掘開すること、其の長さ六間・濶さ五間・深さ七尺余にして、即ち泉水湧出するを得、汲みて以て田中に注ぐ。此れより厥の後、旱災の憂を免る。又村囲及び植樹すべきの地理を察し、村人と商議して、多く阿多並びに小松を植う。今已に暢茂し、以て村囲を堅くし、亦稼穡の便と成る。又土地君を安置するの所在より以て村人漁具を蔵儲するの窩舗に及ぶまで、屡次改造の費に勝へず。新城始めて石を以て四壁を築き、以て蓋起を致す。故に屡造の費無し。又彼の村造船の時は、工匠を那覇・泊等の処に雇ひ、工銭の費甚だ多し。新城略々諸工を会し、亦能く船の図格を曉り、大工と為りて以て舟を造る。其の工銭は民夫に抵算す。又二棚舟を造り、向には鉄釘を用ふるも、新城は木釘を用ふるの術有り。己経に此れを以て広く村人に教ヘ、今に至るも村中益を受くること少からず。担に此れのみならざるなり。其の兄山戸西田・二良名嘉両人は、身既に死し、但貢賦を挽欠する有り。共計大米五石六斗二升五合・銭四百貫文なり。新城之れが担弁を為し、以て納清を致す。独り二良名嘉に于ては、又他家に借銭して、其の子息を以て、将に奴僕と為さんとするの憂有り。新城即ち飼ふ所の小駒二牽を与へて、以て其の欠債に抵つ。又子息を移して、己の家に養ひ、其の成長に及びて家宅を分授す。弟西田筑登之に至りては、挽欠の貢賦一石一斗二升五合・銭百貫文可りなり。新城資を捐して奉納す。又新城の妻の甥松高良は、家道赤貧にして、助農の牛無く窮困に勝へず。新城深く惻怛を為し、牛一牽を恵与して、以て農業に資せしむ。又上届子年、稲穀登らず、貢賦強半欠する者有り。新城、利息を行はず、米銭を発借して、以て奉諭せしむ。彼の新城は、前に陳ぶる所の如く、経に心力を尽くして、多く補助を致す。且村人と相交りて和睦し、行跡も亦善し。年も六十九に登る。褒奨を賜はんことを祈る。村民・頭目呈称し、掟・酋長・検者・惣地頭・大美御殿大親、印結を加具して、朝廷に禀明す。随ひて黄八巻位を賜ふ。