[本文1427]【勝連郡地頭代浜親雲上の善行を褒賞す。】勝連郡浜・比嘉両村は、海を隔つる小島にして、小颶に値ふ毎に、諸凡の稼穡、悉く吹損を致し、年貢敷かず、漁を以て塾を為す。有る所の仕上世貢米並びに百凡の賦税、期に応じて輸し難し。幸に、地頭代浜親雲上、積蓄の米穀有るに頼り、之れを借りて輸納す。還償に至りても、随ひて有れば、随ひて収め、其の利息を免ず。且上届辰年の大饑に、百姓日食足らず、倉米を給発すると雖も、猶以て継ぎ難し。時に浜、銭五千貫文・米三石五斗を将て、利息無くして借給し、死亡を免れしむ。其の還償は、各儲得の日を待ちて収領することを約す。且上届戌年疱瘡流行す。浜、村中に于て、保養の備を訪問するに、僉曰く、僅かに四五舍有りて、聊か以て蓄儲するの外、此れ備無しと。随ひて、銭千五百貫文・米一石五斗を将て、一斉に分借し、還償の時も、息を免じて収得し、並しも催促せず。且前年、屡次風に遇ひ、四野枯稿して日食維れ難し。儲米を給するも、亦続ぎ難きに属す。応に倉を発して賑饑するを請ふべきの処、浜と商議するに、浜謂ふ、当今公用欠乏し、煩rするに便ならずと。仍つて即ち銭一万五千貫文を賑貸す。還償の時に至りては、収領すること前に同じくす。又上届卯年、喜界島船頭清行なるもの有り。通船人数共に八人、大島に到り、砂糖車併びに樽板等の件を購買して本島に収回するの時、逆風に値ひ、檣楫を損破し、風に任せて漂流す。遂に比嘉村名浮礁に擱して、船已に沈没す。浜、小横目と共に指教して、小舟を撥し、以て八人を拯ふ。内二人は素より病症に染みて、数日放食し、十死に一生なり。浜、焼酎並びに粥薬等の件を与へ、小横目と同に、心を尽くして療治す。亦六人に在りては、一同顧食し、共に已に生を全ふす。但に此れのみならず、在島の際、薬餌・烟草及び味噌・塩・菜肴等の件を餽贈し、遂に海路に熟する者に付して、那覇に解送す。今、浜の事情、前に陳ぶる所の如く、己の資を捐して、救災患し、村中の為に能く経画して多く労苦を免る。是を以て村人感戴し、且合郡の利益を致す。夫の浜、地頭代役に任ずること共計四次にして、功労少からず。誠に郡中の励と為すに足る。請ふ、褒賞を腸へと。浜・比嘉両村頭目等具呈し、掟・酋長・検者・両惣地頭・田地奉行印結を加具して朝廷に禀明し、座敷位を賞す。