[本文1437]【八月十七日、喜屋武郡に下知役を設建するを准す。】喜屋武郡は、原是れ海辺の石原にして、僅かの風旱に遇ふも、亦稼穡損枯に就き、実に瘠磽の地に係る。上届辰巳の年の饑饉以来、漸次疲を致し、貢賦を缺欠して、多く借銭有り。兼ねて又上里村の居民、計るに只十三人、勢必ず村戸を保し難し。茲に於て百姓受くる所の地方も亦他村に分授して拮据検束するも、奈んせん其の効無く、毎年、諸凡の事務、結局すること能はず。今、検者一人の力を以てしては検束を致し難し。誠に将来其の困疲を極むるを恐る。茲に下知役を設建して、定額五年以て交代を為し、勤職効を得る者有れば、功を覈べて挙用せんことを請ふ。両惣地頭朝廷に禀明し、随即に之れを允す。