[本文1444]【与那城郡屋慶名村前の名嘉村親雲上等の功労を褒賞す。】与那城郡西原村の亭路間原に四十石余の田有りて天水田に係る。僅かの旱に逢ふと雖も、其の水乾き易く、徒に耕力を費す。況んや大旱に逢へば、則ち稲を植うること能はず、百姓年賦を償納し、極めて労苦を致すをや。屋慶名村前の名嘉村親雲上・耕作当島袋仁也両人意謂へらく、水子川・川田原に于て、大畦を築作し、此れより承溝を決すれば、則ち田水保つを得んと。遂に西原村頭目・耕作当等十四人と相倶に商議し、各々其の意を同じうす。上届子年に于て、自己の資を捐して、該両所水落の区を撰び、石を将て堤井を築設すること方八間半、大畦高さ九尺五寸・濶さ九尺なり。且承溝を掘決すること長さ四百三拾二間半・濶さ二尺五寸・深さ三尺にして、以て水道を亭路間原に通ず。時に厥の後より、用水満足し、以て旱の憂を免る。彼の溝は、現に四年を歴て、未だ水乾を見ず。永く厥の保を観、以て該所の利と為る。百姓・頭目等具呈し、酋長・検者・下知役・両惣地頭・田地奉行印結を加具して朝廷に禀し、各爵位を賞す。