[本文1445]【与那城郡平安座村前の池味親雲上等の功労を褒賞す。】与那城郡平安座村の平田原に五拾石余の田有りて天水田に係る。僅かの旱を為すと雖も、其の水乾き易く、徒に耕力を費す。況んや大旱に逢へば、稲を植うること能はず、百姓年賦を償納し、甚だ労苦を致すをや。平安座村前の池味親雲上・地頭代名嘉村親雲上・平安座村前の池味筑登之・玉城筑登之・惣耕作当池味仁也・耕作当宮城仁也等六人、村の為に慮を発す。上届亥年に于て、村中の人を勧まし自己の資を捐して、堤井長さ拾八間・横八間五合・堤高さ二丈二尺・畦高さ九尺を、築作するの時、幸に湧泉を掘り得たり。此れに因りて田中に注水し、時に順ひて稲を植ゑ、獲る所の米穀も前に比し最も多し。該堤井は、今五年を歴るも、未だ旱の憂を見ず。且又、古次久原に五石余の圃有り。或いは雨歳に逢へば則ち水満ちて東作損傷の憂有りて、多く其の地を廃し、甚だ吃欠に係る。該池味親雲上等、之れが張本と為り、自己の資を捐して、丘上に承溝を決開すること長さ七十三間・濶さ三尺・高さ五尺なり。且溝尾の石を刻開して、以て水を洞内に注ぐ。又溝の路に于て矼を架し、以て往来を通ず。又西原村亭路間原に四十石余の田有りて、天水田に係る。故に乾に就き易く、耕耘力を費す。或いは大旱に逢へば則ち植稲するを得ず。百姓、年賦を償納して甚だ労苦を致す。該池味仁也、西原村頭目等と相議し、上届子年に于て自己の雇夫を発して、水子川・川田原に于て大石を収集し、堤井を築開すること方八間半・大畦高さ九尺五寸・濶さ九尺なり。且此れより亭路間原に至るまで、承溝を決開すること長さ四百三拾二間半・横二尺・深さ一尺、以て水道を通ず。時に厥の後より、旱災に逢ふと雖も、用水満足し、該両村永世益を承く。百姓・頭目等具呈し、酋長・検者・下知役・両惣地頭・田地奉行印結を加具して、朝廷に禀す。此れに因りて該池味親雲上等并びに其の外の有功者十四人、倶に皆爵位を賞賜す。