[本文1450]【豊見城郡翁長村前の座安親雲上等十九人の功労を褒賞す。】豊見城郡翁長村前面の田より、泥土流入するは、地高きが為に因る。故に大雨の時に当りて、前面一帯の流水宅中に氾濫し、民、居住し難し。奈んせん別に移籍の場無く、甚だ妨碍を致す。該村前の座安親雲上・宇栄田親雲上等十九名、酌量して保栄茂村鞁間志田より、翁長村南喜雨川原に至るまで水道を決開すること長さ八百捨五間・濶さ三四尺或いは五六尺許りなり。上届申年八月より起して酉三月に至りて終る。時に厥の後より、水、濫宅の憂無し。且村中播苗の田は、村前に設けて、大雨に逢へば則ち稲穂及び植うる所の稲を損傷する有りて、遂に年貢欠し、百姓所を失ふ。今此くの如く水道を開くに因り、水難有ること無し。此れに因りて、米弐十石余を収穫す。又水道川原尾辺の地四千六十坪を将て掘りて水田と為さば、則ち当に獲る所、前に増すべし。即ち村人を鼓舞して、上届申年より起して次酉年に至るまで日夜力を励まし、掘開して田を作る。田位亦甚だ好し。獲る所の穀、前賦に較算するに、十七石二斗九升余を加増す。即ち其の穀を将て米摸合を為し、其の剩りは、毎年村中に頒給す。又摸合米売銭を将て村の貯と為す。故に上届子年に于て、大風猛起し、東作吹捐し、日食敷かざるの時、其の貯米を発して村中に分給す。故に村人食足り、年貢滞らず。又該摸合送りの余を将て、瀉荘を買ひ求め、種々村を益す。該座安等具禀し、酋長・検者・両惣地頭・田地奉行、印結を加具して朝廷に禀明し、各爵位を賞す。