[本文1456]【十二月二十七日、特に和亮弼高原里之子親雲上に切米二石を賞す。】和亮弼高原里之子親雲上は、本国絵図を画くに於て、曾て羅経の法を以て其の工夫を作す。是れに由りて、先づ其の図を画定し、以て呈送を為さんことを請ふ。随ひて経に、其の主取に充て、田地役人と同に全図を画き、以て之れを呈し、以て公用に堪へたり。又従前公を内外に歴任し、其の内に官民の利益と為るの功有り。況んや田地奉行に任ずるの時、経に丈国の法を将て、田地役人に教授するをや。其の法書に至りても亦已に編成して呈送す。是れ公所照見の用と為す。今其の行年、方に八旬に躋り、家資素より寒にして、日営堪へ難く、極めて窮苦に在り。請ふ、前項の徴功を酌して以て恩を示せば、則ち聊か以て心を安んじ、余年を卒るを保するに庶からんと。該原、具呈し、田地奉行も亦朝廷に具禀す。議するに、該原は前に陳ぶる所の如く、素より公を弁ずるを以て心と為し、諸芸に嫻熟し国用を備弁す。固より矜賞に属すと。是れに由りて特に切米二石を賜ひて、以て一世養生の資と為す。