[本文1457]【四年四月二十一日、上、諭して始めて国学を建て、並に郷学を建つ。】上、諭して始めて国学を建てて諸士を教へしむ。学師の勤職は三年を限定し、之れに俸米八石を賜ふ。按司一員・親方一員をして其の奉行に任ぜしむ。之れに附するに中取二人・筆者二人を以てし、学規を議定するの間、勤任を為さしむ。其の議定より以後、奉行・中取の勤職は一年を限定す。且、三平等に於ても亦各平等の資財をuめ、各々学校一所を建てて、学師各一員を設置し、其の勤職五年に限る。俸米に至りても亦各平等の資をuめ、七石を交与す。按司各一員・親方各一員を以て各奉行に任じ、之れに附するに中取各二人・筆者各二人を以てし、其の勤職の期に至りては各平等の申詳を待ちて、年期を定むべし。其の諭左に記す。国学士子に訓飭するの諭。古の学校を稽ふるに、天子は辟雍と曰ひ、諸侯は宮と曰ふ。皆教化を興行し人材を作育する所以にして、典、至渥なり。今予が国都、古より以来、未だ宮を建てず。典、尚闕如す。応に国学を建てて教化を興し、人材を育し、以て美備に臻るべし。然れども現今国財未だ裕ならずして、興建の志を遂げず。故に旧官署に於て権りに国学と為し、按司向国藩・紫巾官向元佐を着派して、充てて国学奉行と為し、並びに当座官金世裕・麻克昌をして偕に中取役と為し、学務を督理せしむ。既に又紫金大夫蔡世昌を簡派して、以て学師と為す。公同に学規を議し立て、諸生を董勧し、務めて風教修明にして賢才蔚起するを期せば、癰、人を作るの意に庶幾からん。今蔡世昌不幸にして病故す。乃ち中議大夫林家槐に命じて、学師に充補し、特に訓言を製して諸生に警飭す。其れ各々諦聴せよ。蓋し古の学者は、先づ品行を立て、次に諸芸に及ぶ。爾諸生、幼より庭訓を聞き、長じて郷学に列し、朝夕誦読すれば寧ぞ講究無からん。必ずや躬ら実践を修し、廉隅を砥礪せん。孝順を敦くして以て親に事へ、忠貞を秉りて以て志を立て、経を窮め業を考へ、荒誕の談を雑ふる勿れ。友を取り、師に親しみ、務めて○橋盈の気を化し、常に蕩軼を防ぎ、逸遊を事とする毋れ。苟も、行止、虧くこと有れば、書を読むと雖も、何の益かあらん。若し夫れ宅心淑からざれば行已に愆多し。或いは蜚語流言して官長を惑聴し、或いは私を営み媚を献じて権門に出入し、或いは勢豪に依附し孤を欺き弱を凌ぎ、或いは朋類を招呼して党を樹てて援を為す。又当に悲しむべく、当に恨むべきの行を以て反つて計を得たりと為し、而して不公不道を之れ事として人を害するを顧みること罔し。乃ち此くの若き人は、名教容れず、郷党歯すること勿し。縦ひ倖に朴を脱褫し、濫りに章縫を窃むも、之れを衷に返して、寧ろ愧づること無からんや。種々の弊端、深く痛恨すべし。故に返復惓々として特に訓言を宣ベ、爾等をして共に予の心を体し、明訓に恪遵して一切痛く改省を加へしむ。争ひて自ら濯磨し、勤学行を積み、時に逢ひて志を得ば、特に爾の身に栄有るのみならず、即ち爾の祖先も亦光寵を増さん。若し乃ち玩しむる勿く、暴棄自甘せば則ち是れ爾等冥頑無知にして、終に教に率ふこと能はざるなり。既にして栽培に負き、咎戻に復せば国法具に在り。予亦爾等の為に寛なること能はず。茲より以往、名門と寒陋とを論ずる無く、如し行を積み学に勤めて、国の為に猷を宣ぶる者有らば則ち布衣の子弟と雖も、我、将に挙げて之れを用ひんとす。如し或いは検を敗り閑を踰えて、明訓に遵はざる者は則ち貴族の子孫と雖も、我将に退けて去らんとす。凡そ各学の奉行・師長は、並びに宜しく諸生に伝集し、多方董勧して、以て予の懐に副はしむべし。否ざれば則ち職業修むる勿くして咎亦ユれ難し。予の言の不預なるを謂ふ勿れ。爾多士、尚はくは、謹みて之れを聴けよや。