[本文1461]【本日、前任地頭代武富村平田親雲上等の功を褒賞す。】兼城間切武富村は連年困憊す。之れに兼ぬるに上届辰巳両年大荒の時、居民六十五人の内四十四人は家を傾け産を蕩す。其の余の二十一人は、惟、食力蘇命するのみ。欠く所の貢米三十石、負ふ所の私債は重く多し。況んや又人少く地多くして、力の耕種する無きをや。因りて日食も亦続ぎ難く、告げて他家に借り、且田圃を典して、以て諸貢を納む。其の疲は年一年と増す。上届丑年以前の欠賦・私債は、其の母子を合算するに米五十石・銭四万貫文にして、償還するに術無し。茲に前任地頭代武富村平田親雲上等十四人の申詳する有りて、郡を挙げて米穀を搖会す。上届巳年、先づ米十三石を交す。且旱田の内九百九十坪を鑿開し、改めて水田を作らば、宜しく多く米穀を収獲すべし。該等之れが主と為り、特に村民に勧令して、上届丑年より翌寅年に迄り完好す。其の多獲の米穀を将て、旧租に抵算するに、乃ち四石有奇の増有り。村民農を務め、家を克くし、毎年諸上木の獲る所及びuむる所の銭を将て、以上の米銭の母子を納清す。且身を鬻ぐの人も亦尽く贖ふことを致す。又搖会の期も、去年に至り全く竣る。且上届卯年より以て去年に迄り、旱田五千三百余坪を鑿開し、改めて水田を作る。乃ち二十二石余の増有り。且民地内の後原・根喜屋原の田は、潦水に係るに従り、旱魃に逢ふ毎に、能く耕種する莫く、以て荒廃を致す。茲に該等、之れが為に心を留むる有り。村民と確議して、根喜屋原に堤井を鑿開すること長さ五歩・濶さ四歩・深さ四尺、与那当原に堤井を鑿開すること長さ十四歩・濶さ四歩・深さ三尺にして、水を後原の田に洩す。且後原に堤井を鑿開すること長さ十歩・濶さ七歩・深さ四尺なり。且各井より田に迄るまで、三个の水道を鑿ること長さ二百九十四歩・濶さ二尺五寸より以て五六尺に至る。厥の後、水足りて稼を利す。且挙村の民、井一口を用ふるも、其の潦水なるに因り、小旱有りと雖も、以て水を保し難く、遠く豊見城間切平良轟泉に到り、水を汲みて用を済す。拮据の苦に勝へず。曾て堤井を鑿るの時、幸に泉を鑿るに因り、水、利用するに足る。有る所の水田は、都て瘠薄に係り、播苗すること能はず。素来、租を出して他村の田に播苗す。但前年に至り、村の前面より狩俣原の田に至るまで、溝の長さ二百五歩を鑿りて、里水を注入するや、其の地膏腴、常に以て苗を播き、年に租米二石五斗の利を得たり。且棕梠・芭蕉・苧は植うること小なる有り。公需に逢ふ毎に、以て供弁し難し。居宅及び各地を相度りて、以て栽植を致す。蘇鉄の若きに至りても、亦年々田地奉行示す所の株数の外に一万五十株を加栽す。遍く村囲山野を視て、松苗・鞁山竹を分栽す。該等の主張に因りて、疲困を引き興し、村民目今欠く所の貢賦、負ふ所の私債を全償し、村民永々利とせざる可からず。該等具呈し、酋長・検者・両惣地頭・田地奉行、印結を加具して朝廷に禀明す。随ひて平田以下に各爵位を賞す。