[本文1463]【本日、宮古島狩俣村の池間仁屋等の功を褒賞す。】宮古島狩俣・大神二村の民人は、上届辰巳両年の大荒の時、餓に及び死を致して、家を傾け、産を蕩する者多し。且男女五十余人は、散りて四方に之き、其の疲、年一年と増す。之れに兼ぬるに、比年凡そ東作登らず、諸貢欠し、百姓惟に甚だしく怠るのみならず、農業に至りても、亦間断を致す。是れに由りて、管役、村人と熟議し、狩俣村池間仁也等五人及び筆者を挑択して、三面に下知人を分設す。離散の人等を召集し、地を開きて毎人授与して其れをして力を合せ耕種せしむ。池間等不刻に田圃を巡見して、以て教令を加ふ。此に于て玩怠の百姓、踊々として農に趨らざる無し。遂に欠く所の貢米四百九十四石余を将て、上届丑年より以て下届申年に迄るまで、預め期して分年上納す。但年々過納するに因り、乃ち本年に迄るまで、但に其の額を清納するのみならず、更に十七石九斗余を過納す。況んや下届申年、冊使を邀請するの備、預め先づ申飭するに因り、該等比の意を遵守し、歴疲の百姓を振興し、建てて其の験有るをや。請ふ、分に応じて賞賜せんことを。管役具呈し、在番・頭目朝廷に咨請す。随ひて池間仁也等五人に各爵位を賞す。