[本文1478]【与那城郡屋慶名村の池味筑登之等の功労を褒賞す。】与那城郡駅傍の河上に架する所の橋梁は、駅逓の場なるに因り、原来、板橋を設架す。僅かに三四年を歴れば、則ち朽壊を致す。況んや大雨の時に当りては、其の橋を流去して、許多の冗費を致すをや。下知役・検者等、心を留めて籌画し、石矼を架して長久の利益を保するを為さんと欲し、経に相議を致す。奈んせん、其の費を勘估するに、銅銭二万八千貫文余零に及ぶ。今困窮の小郡、許多の冗費、何を以てか架矼するを得んや。幸に屋慶名村池味筑登之其の外の人等、相共に其の需を承弁す。地頭代名嘉村親雲上・総耕作当富山仁屋両人、能く教示を加ヘ、堅固に石矼を造架し、永く郡中の利便と為る等の由、本郡各役及び検者・下知人・両総地頭・田地奉行朝廷に禀明し、随ひて各爵位を賞す。