[本文1479]【八重山島崎枝村の桃原仁屋の善行を褒奨し、筑登之位に陞す。】八重山島崎枝村は、上届甲寅年八月、疫癘流行す。此の時、貧窘者二十三人、時疫に染患す。桃原仁屋、大米三斗二升・豆醤二升六合・焼酒七十六盞を給与して、以て療用に資し、痊可を得しむ。且本年九月より、番薯の蔓、虫の為に虐なはれ、結実少些にして、日食漸く乏し。翌年正月に至り、y瓢屡々空しき者有り。該桃原、旱田八百五十区産する所の番薯及び蘇鉄六十七株を譲与して、餓リを賑済す。担に此れのみならざるなり。去年、番薯モフ為に害せられ、結実鮮少にして、エム極めて乏し。此の時に当りて、春立地船を造作するに因り、船材を採収するの妨を致す。該桃原、大米一斛一斗・牛一口・醤油五十盞・塩四升を将て、林に入り材を採るの人七十三人に分給す。日数五日にして、船材を採収すること完竣す。況んや其の生質敦実にして、村人と相交りて和睦、力を農畝に尽くし、未だ敢へて懈惰せず、貢賦も亦滞遅する莫く、却りて大米九斛五斗余零を納過する有るをや。其の分宜の奨を斟賜するを請ふ等の由、本村人民及び属主各役人等呈請して前み来る。在番・頭目等朝廷に禀明し、筑登之位を賞す。