[本文1484]【七年辛酉、与那国島祖納村の船筑松原仁屋の善行を嘉奨し、筑登之位を賜ふ。】与那国島は、前年五月、瘟疫時行し、六月中旬に及ぶころ、疫に臥す者甚だ多し。島人専ら療治を事とし、後植の稲・粟を収穫すること能はず、田野を耗棄す。是れに由りて駐直の各役曁び渡島役人等、各家に趨せ到りて、調治の方を開示す。幸に本島祖納村に、船筑松原仁屋なる者有り。相与に各処に巡り到り、自己の焼酒二百盞を将て、艾酒を製造して与へて病人に喫せしめ、方に痊癒を得たり。八月に至り、纔めて其の稲・粟を穫。是を以て通島の人民、食用維れ難し。又十月の初、暴風の為、海潮を吹き騰げ、栽する所の番薯以て枯稿と成る。エム愈々乏しく、雑食腹を充たし、聊か以て日を度る。十一月の尾に至るも、力を農畝に尽くす能はずして、饑饉荐りに臻る。該松原、自己の大米、九斛五斗七升を将て、貧窶の者八十七家に派与して、以て性命を救ふ。褒奨を酌賜するを請ふ等の情、各役呈詳し、在番・頭目等具禀して前み来り、筑登之位を賞賜す。