[本文1502]【本年十一月四日、勝連郡神谷村の樽大城等の功労を褒奨し、爵位を頒賜す。】去年、中華の商船久志郡に飄来し、本年二月開駕して籍に赴くの時、船文等を付給す。但難人等禀称するに、喜屋武崎を駕過するの間、船を撥して引導するを准せ等の情、前み来る。随ひて貢船佐事・加子四名及び久米村通事等を分発し、船隻に坐駕して、以て引導を為さしむ。然れども其の海路を知らず。津堅・久高両島にて海路に識熟する者一両人を択撥して、其の引導を為さざるべからず。此に于て該樽大城・亀大城両人を択発するの外、更に久高島の者一人を発し、倶に已にに引導して安んじて駕走を為す。且去年十一月、年頭の使者宜寿次親方回国の時、坐する所の船隻、久志郡嘉陽村の洋面に湾泊す。但其の船子、那覇に駕し赴くの海路を知らざるに因り、勝連郡浜・比嘉洋面より、以て玉城郡奥武村の洋面に至るまで、該両人に托して、以て引導を為し、恙無く覇に到る。褒賞を賜ふを請ふ等の情、宜寿次親方及び勝連郡酋長・検者・両惣地頭朝廷に具呈す。又二十四年を歴て、茲に亥の年、久志郡汀間村船隻、貢物を装載して、与那原に駕し赴かんとするや、料らずも半洋ユに逆風に遭ひて、破船の時、該両人其の難を撞視し、人命を拯助す。今に至るまで三次、此くの如き績有り。是れに由りて各各赤八巻位を賞賜す。