[本文1524]【本年六月十九日、名護郡検者毛氏兼浜里之子親雲上等の功労を褒賞す。】名護郡喜瀬港は、洵に諸人の往還及び百姓出場の道に係る。原、木橋を設架す。然れども漸を逐ふて破壊し、今其の跡形を見ず。潮満つるの時は深さ四尺許り、人馬の往来以て阻滞を致す。且大雨の時、至急の公用甚だ妨碍を致す。是を以て田地奉行屡々橋を架けしめんとするも、但許多の力役を用ふるの故に、百姓の間暇を窺はんと欲し、以て延きて今に至る。幸に毛氏兼浜里之子親雲上盤林、検者に任ずるの時、地頭代東江親雲上・前の夫地頭山入端親雲上・大兼久親雲上等と会議し、石を用つて港間に長さ四十八歩・横八尺・高さ六尺より二尺五寸に至るの橋基を堅く築き、其の内に橋三座を架して以て歴久を保つ。担に本郡の便なるのみならず、即ち歴過の諸郡に至りても亦甚だ利益と為る等の由、兼浜及び両惣地頭呈文し、田地奉行印結を加具して朝廷に禀明す。是れに由りて兼浜に上布二疋を賞し、東江・山入端・大兼久の三名に各々爵位を賞す。