[本文1525]【本年八月二十五日、勝連郡神谷村の大城仁屋等の功労を褒賞して爵位を頒賜す。】勝連郡神谷村の大城仁屋・大城仁屋の両人は、上届戌十一月、嵩原親方坐す所の楷船、薩州より返棹の時、与那城郡伊計村の洋面に到りて湾泊す。然れども那覇に駕運するを知る者無し。特に伊の両人の引程に頼りて久高島に到るを全うす。且前年十一月、伊の両人偶々蔵役外間筑登之親雲上・評価宰領小橋川筑登之親雲上駕す所の馬艦、薩州より回帆の時、久志郡洋面に馳せ到りて危所の形状なるを見て、即刻小舟を漕ぎ出し、彼の船を搬駕し引程して難を凌ぐ。且上届未年十一月、金武郡屋嘉村の四棚船一隻、通船人数八人、砂糖桶板及び諸座公用の雑物を装載して与那原港に運到し、彼所より返帆の時、料らずも与那城郡平安座村洋面に到るや、風波怒起し、遂に破船を致して、正に十死一生の際に在り。幸に伊の両人其の外四人、相共に小舟を漕ぎ出し、其の難を救援す。此くの如く危を救ふこと三次なり。乞ふ、其の分宜の奨を斟酌せよ等の由、両郡各役・検者・両惣地頭等、由を備へて前み来り、又前項の楷船・馬艦の舵工人等具呈して朝廷に禀明す。随ひて各々爵位を賞賜す。