[本文1535]【本年十二月十八日、勝連郡平安名村の小舍覇親雲上等を褒奨して、各々爵位を頒賜す。勝連郡平安名村は、念ふに、有る所の地畝の内に新に水田を濶けば則ち出産増すべし。随ひて本村の小舍覇親雲上・小舍覇筑登之・大城筑登之・山城筑登之・前原筑登之・吉元仁屋・嶋袋仁屋、小舍覇村の山城仁也、平安名村の山城仁屋・山城仁屋・山戸新垣・蒲戸山城・樽山城、小舍覇村の亀山城、平安名村の蒲戸島袋・山戸山城・松野原・蒲戸山城・武太糸数・仁牛内間等、之れが為に督率して村人に勧め、田地奉行に禀請して、地畝三千八百八十二歩は、上届亥年新に水田を濶く。今乃ち思ふ所の如く、本租に扣抵すれば則ち十石三斗余既に出産を増す。且木村は原来地薄せ更に潦水田多く、僅かの旱魃に逢ふも水漏れて乾き易く稲を植うる能はず。屡次賦税を塾納す。並びに播苗の田も少なく、与那城郡の田畝に租耕す。故に百姓等其の苦労を極む。然して村後の水波連原に於て長さ八間・濶さ七間・高さ八尺の堤井を堀修し、且平安名川の尾に在りても亦長さ二十五間・濶さ二間・高さ六尺の堤井を掘り開き、其の所の水を全く一脈に成して三个の水道を開通す。一道は嘉喜名原に注流するもの、長さ二百十七間・濶さ二尺、一道は大川原に注流するもの、長さ四百三十一間・濶さ二尺五寸、一道は仲田村に注流するもの、長さ二百三十間・濶さ二尺なり。故に上届亥年以来、附近の水田八十一斛三斗余の区、与那城郡の水田二十斛七斗余の区、共計百二斛余の区に注流して水漏らず。而して稲を芸うるを得たり。且伊之森原・幸原に至るも亦堤井及び溝を修して以て其の水を新田・古田に注ぐ。故に旱魃の憂無く、乃ち耕種するを得、今良田と成る。担に本所の利益なるのみならず、又与那城郡に至りても亦永世の利便と為る等の由、小舍覇等僉呈し、酋長・検者・両惣地頭并びに与那城郡酋長・検者・田地奉行印結を加具して前み来る。随ひて各々爵位を賞賜す。】