[本文1558]【八年辛未三月二十一日、真和志郡牧志村の前の兼本親雲上・安里村の高良筑登之等の功労を褒奨して各々爵位を賜ふ。】真和志郡の安里・牧志両村は、素、民田少なく、皆請地・仕明に租耕す。幸に牧志村の前の兼本親雲上・安里村の高良筑登之其の外六名、心を留め慮を発し村人と商議して、遂に検者・地頭代等の主裁を請ひ、一千八百八十余坪の圃を将て、上届丑年以来自ら資斧を損して水田を掘り闢く。而して其の獲る所の米穀、前に較べて更に多し。又請地九百坪の圃の永く租税を重加すること無きの処を将て、其の圃主と相議し、新に水田を鑿す。時に厥の後より獲る所の米穀多きを加へて其の利と為る。特に諸貢を補ふのみならず、或いは貧人を済恤し或いは揺会に借備す。又牧志前原に有る所の六十石余の水田及び普喜下原に有る所の五十八石余の水田は、均しく潦水に係る。故に少些の旱魃に逢ふと雖も、其の水涸れ易く、耕種に便ならず。是れに由りて泉を各処の山野に掘出し、水路を開作して水を注ぎ田に入る。時に厥の後より全く田涸るるの憂無し。而して増獲の欣有り。又該前原に有る所の六十石余の水田は、原、瘠薄に属し禾を種うるも登らず。是れに由りて長さ一百五十間・横三尺・深さ三尺の水道を掘り開き、而して該村東面より流下するの膏水を以て其の田に注入し、変じて良田と為し、毎に増獲有り。又該伊礼原に有る所の八石余の地は、原、辺江に属し、地勢低下して、大雨の時に当りては、潮水満ち溢れて稼穡を損傷す。是れに由りて石土を用つて、江涯長さ六十間・濶さ六尺・高さ四尺を築き立つ。爾より以来全く潮溢れて稼を傷ふの憂無し。又同村西方の浮道下は、海潮満退の地に係り、徒に擲ちて荒と為る。是れに由りて畦を築くの外、又六百余坪の池塘を鑿ちて以て鯉鰡を飼ひ、毎年銅銭二百貫文を村中に益す。此くの如く村の為に籌画し、永く利益を貽す等の由、牧志村の前の兼本親雲上・安里村の高良筑登之等僉呈し、田地奉行・大美御殿大親・惣地頭・検者・酋長及び百姓人等印結を加具して前み来る。随ひて各々爵位を賜ふ。