[本文1583]【本年四月十二日、玉城郡の地頭代仲井真親雲上等の功を褒嘉して各爵位を賜ふ。】玉城郡の屋嘉部・当山両村は、原天水田多し。是を以て小旱に遭ふと雖も、耕耘するを得ず。地頭代仲井真親雲上・夫地頭嶺井親雲上其の外一十八名、相共に慮を発し、田地奉行の主裁を請ひ、自ら資財を損して、宇喜原・佐宇志原等の処に於て岩土を削除し各泉を掘り得たり。既にして水道を鑿通し両水合流す。又茲に堤井両個を築き設け、此れより承溝を鑿通し、其の注ぐ処に在りて復又堤井両個を築き設く。且屋嘉部村より以て該水道に至るまで、承溝を鑿通し、水をして流注せしむ。且嘉良真志原に於て塘両個を掘る。今、其れ此くの如く心を用ひて勤労するの故を以て、該水を注ぎて已に租米三十九石余の水田に入れ、又、富里・志堅原両村の租米一百余石の水田に入る。且有る所の稼穡の地共計四千四十五坪は、原、湿地に属し、耕種施し難し。因りて、掘りて水田と為し、其の獲る所の米穀、前に比して既に多く、益と為ること又大なり等の由、各頭目・掟等呈文し、酋長・検者・両惣地頭・田地奉行等印結を加具して前み来る。随即其の功を褒嘉して各々爵位を賜ふ。