[本文1598]【十七年庚申、具志川郡安慶名村頭目等の功を褒嘉して各爵位を賜ふ。】具志川郡具志川・安慶名・田場の三村は、大田原に天水田有り。小旱に遇ふと雖も耕種するを得ず、百姓共に困窮に及ぶ。安慶名村の頭目等其の外二十一人、之れが為に慮を発し、田地官の主裁を請ひて、自ら資財を捐し、上届巳年より翌午年に至るまで、加久知多原の山籍内に于て、泉を掘り、水を得、溝を開きて、大田原に通行し、租米一百五十斛余の田に注入す。又其の溝の近辺に一万百坪の畝有り。上届午年より以て去春に至るまで、新に其の畝を墾して以て水田と為す。其の出産の数は前に比して甚だ多し。又上届亥年、其の泉口より直に其の内に至るまで、岩石を削除すること共計長さ五十七間・濶さ三間半より四尺に至り・深さ一丈より二尺に至る。既にして其の口内に於て、塊石を築き建つるもの共計長さ十間・高さ五尺五寸なり。且泉口より十間の下に、小矼を架設して以て往来を通ず。又喜屋武・宮里・高江洲・仲嶺・兼个段・江洲の六村、多く天水田有り。小旱に当ると雖も、都べて乾涸に就きて播種の時を失ひ、百姓甚だ苦労を致す。其の新田を開きて以来、播種時を失ふの憂無し。誠に益を各村に貽すこと小ならず。是れに由りて頭目・掟等呈文し、酋長・検者・下知役・両惣地頭・田地奉行等印結を加具して朝廷に禀す。随ひて各々爵位を賞して以て其の功を表す。