[本文1600]【本年、伊平屋島島尻村の前任夫地頭西銘親雲上の善行を褒嘉して爵位を賜ふ。】伊平屋島島尻村の前任夫地頭西銘親雲上は、掟役より酋長・夫地頭に至るまで、公務完竣して毫も蜴ク無し。而して田名掟に任ずるの時、百姓を督理して毎事教ふるに善道を以てす。故に百姓皆其の教に服し、力を農業に励まし、心を樹畜に用ひて、以て貢賦を完うす。又上届午年、田名村地船を造作するの時、米七斗五升を将て利息を加へずして其の村に給借す。厥の時該島偶々凶荒に逢ふ。西銘、蘇鉄二万五千余斛を分給して以て饑餓を賑ふ。又島尻村人民、専ら上の川を頼りて用水と為すも、道路遠く毒蛇多くして夜間は往来に便ならず。西銘曾て鑿井の法に諳熟し、村の近辺に于て地を択び井を鑿ちて永く村落の便と為る。又近来島尻村の百姓、困疲して貢賦を欠する者有り。西銘之れを恤み、上届戌年以来毎年利無くして米五斛を借し、以て其の欠を完うせしむ。此れを除くの外、村の為に料理すること亦多し。且西銘の母舅、家資貧乏にして女子を売らんとするのとき、身価米を以て其の女子を買ひ養ふ。厥の後、母舅老衰し妻子病故して、人の侍養するもの無きに及び、其の女子を癘ニし、以て回りて養ふを得しむ。又我謝村の伊野波原に池有り。其の側に島尻・我謝・野甫三村の田共計九千八百余坪有りて、旱魃の時は池水を移入して耕種を為す。但池壊れ水無きに因り、小旱に当ると雖も耕種するを得ず。西銘、百姓の農隙を視察し、之れをして修整せしむ。時に厥の後より耕田の時を失せず。又我謝村の西辺に該三村の田有り。曾て其の中央より溝を開き水を行むること其の濶さ三尺有余。大雨の時に逢ふ毎に溝水汎濫して稼穡を損傷す。西銘、其の溝を開き広めて以て六尺余の濶さと為し、汎濫の害を免かる。又夫地頭役を退いて以来、屡々島役に任じ、未だ肯へて遑居せず。且其の人となりや、善道を践み行ひ、而して村人と交はるに楓rを以てす。請ふ、褒賞を酌賜せよ等の由、各村百姓・頭目・掟等呈文し、酋長・検者・総地頭・大美御殿大親・高奉行等印結を加具して朝廷に禀す。随ひて勢頭座敷位を賞して以て其の行を表す。