[本文1606]【十八年辛巳、与那城郡の前の地頭代平安座村の名嘉村親雲上等の功労を褒嘉して各々爵位を賜ふ。】与那城郡安勢理・饒辺の両村に有る所の水田は、多く天沢に頼り、小旱に逢ふと雖も禾稼登らず、貢賦完うし難く、居民苦に坐す。平安座村の名嘉村親雲上、曾て西掟職に任ずるの時、村の為に慮を発し、加味也原の地中に泉有るを看定む。乃ち田地官の主裁を請ひ、人民共に一十六名を率同し、各自資を捐して、上届未年より起して、以て丑年に至るまでに其の泉を鑿開し、且堤井四個を掘り開く。長さ或いは三間或いは七間・濶さ或いは二間或いは六間五合・深さ或いは六尺或いは一丈二尺。此れより承溝長さ七間五合・深さ二尺を決排す。即ち駅道に在りても、亦土塊長さ二間五合・深さ一尺八寸を掘り除き、架すに板石を以てし、以て泉水を導きて附近の水田に注入す。其の産米を計るに、九十一石余なり。稲穂田に至りても、毎年水沢裕ならず。況んや旱歳に遇ひ、益々漏涸に就き、産苗用に乏しく、只他村に向きて買来り、以て栽芸に供するをや。因りて該村等、種々力を出し、遂に良田と為し、春は禾苗空乏の憂無く、秋は粒米狼戻の慶有り。永く益を百姓に貽す。是れに由りて掟・惣耕作当・酋長等呈文し、検者・両惣地頭・田地奉行等印結を加具して朝廷に禀明す。随ひて各々爵位を賜ひて以て其の功を旌す。