[本文1618]【十九年壬午、与那城郡、前の地頭代平安座村の名嘉村親雲上等の功労を褒嘉して各々爵位を賜ふ。】与那城郡西原村に有る所の水田は多く天沢に頼り、小旱に逢ふと雖も、禾稲登らず、貢賦敷かず、百姓共に困窮に及ぶ。平安座村の名嘉村親雲上、曾て地頭代職に任ずるの時、深く比川原に泉源有るを察し、乃ち田地官の主裁を請ひ、人民一十九名を率同し、各自資を捐して、上届寅年以来堤井一個長さ十間・濶さ八間・深さ八尺を鑿開し、更に承溝長さ九十間・深さ三尺五寸を鑿通し、又名加次志原に於て、承溝長さ二十三間・深さ五尺を鑿通す。又新に水田二千一百九十七坪を掘り、該泉水を導きて産米一百六十石余の田に注入す。又有る所の播種の田は、瀦水にして乾れ易く、稲苗望を失ひ、毎歳訪ねて他村に買ひ、以て応用に備ふ。其の来しかた已に久し。因りて該村等、其の水を注入し、変じて良田と成す。稲苗に至るも亦優に芸うるを為し、永く益を百姓に貽す。是に于て頭目・掟等呈文し、酋長・検者・下知役・両総地頭・田地奉行等印結を加具して朝廷に禀す。随ひて各々爵位を賞して以て其の功を表す。