[本文1633]【本年、sす。】此の年六月以来旱魃威を施し、久しきを経るも已まず。是れを以て王、旨を伝へ、八月二十五日より二十七日に至るまで、王城御火鉢前並びに各嶽に於てイ告し、訖りて親方、官僚共に三七人を率同して拝し、且前の御庭に在りて雨をイる。又聞得大君御殿御火鉢前に於てイ告し、訖りて親方、官僚共に三七人を率同して拝し、又三平等神宮に於てイ告し、訖りて親方、官僚共に一七人を率同して雨をイる。又禅家をして円覚寺に於て大盤若経を念じて雨をイらしめ、又聖家をして護国寺に於て雨をイらしむ。又久米村大夫をして官僚各共に一七人を率同し、竜王殿・天尊廟に三日斎宿して雨をイらしむ(初日と終日とは、三司官一員・申口一員・座敷一員・当一員・勢頭一員・里之子一員・筑登之一員、一共に七員、前みて竜王殿に至り、久米・那覇の衆官と一同に礼を行ふ)。又イ雨の初日、久米・那覇官各一員及び衆官を将て分ちて二隊と為し、其の一隊は則ち親方を以て官僚を率同し、竜王を請じて唐栄の竜舟に駕し、豊見城に前み至りて雨をイり、一隊は則ち三司官、衆官を率同し、天尊廟に前み至りて雨をイる。又泊村並びに祝部・諸郡、三日雨をイる(応に紫冠を戴くべき者は改めて黄冠を戴き、紅冠は冠を除き、只朝衣を著すのみ。イ雨の際は都鄙、屠宰を禁止す)。