[本文1717]【本年、与那城郡西原村の宮里筑登之等の功を褒嘉して各々爵位を賜ふ。】与那城西原村に有る所の水田は、多く天沢に頼りて以て耕種を為し、小旱に逢ふ毎に、水乾涸し易く、時に随ひて稲を栽うることを得ず。上届丑年、該村の宮里筑登之・宮里仁屋、屋慶名村の加満戸金城等三人、村民二十二人を率同し、田繩ッの主裁を請ひ、各自資を捐して、村背に有る所の大川の洞口に流落するの泉を決疏し、村辺に導き到るもの大約三間、其の下に在りて堤井を鑿開し、水をして其の中に流れ盈たしむ。而して該井より波武達川・比川の両原に至るまで、承溝を開疏し、産米九十一石五斗余の田に注入し、村民をして時に随ひて耕種せしむ。而して其の附近の湿地に於ても、亦新に水田三千九百六十八坪二分を開き、溝水を催入して時に随ひて稲を栽ゑしむ。獲る所の産米年計一十九石八斗四升一合起、前に比して一十六石五斗三升四合一勺七才起を加へ獲たり。百姓利を得ること少からず。是れに由りて各々爵位を賜ひて以て其の功を表す。