[本文1769]【本年、首里那覇両府・泊村の士民及び兼城・具志頭・本部の三郡の人民を褒嘉して、或いは譜代籍に陞せ、或いは新家譜を賜ひ、或いは爵位を賜ふ。】本国将に冊封の大典有らんとす。有る所の中山坊より新矼に至るの一帯の条路、併びに久場川の条路・首里各処に通ずる所の条路は、必ず須く修理を概行すべし。又、那覇港及び唐船塘は、上届戊辰冊封の時、官に命じて之れを浚はしむるも、其の後泥塞がり水浅くして大船通じ難し。固より当に泥を決し水を深くすべし。又、冊封の時に当り、有る所の仕上世貢米は、例として応に牧港に運び到りて投納すべし。近年以来、津口漸く浅く諸船通じ難く、亦以て之れを浚はざるべからず。又、那覇府の各条路も亦必ず修葺を行ふべし。其の費を総算するに甚だ許多に及び、公項を以てしては全備する能はず。正に計窮まるに在り。時に、西村霍氏長子嘉数筑登之親雲上詠睦・与那覇堂村玉城筑登之親雲上・崎山村照屋筑登之の祖母三名有り。各銅銭を発して公に奉借す。又、帑項虧匱し、冊封の需を弁じ難し。檄を国中に発して米銭を借貸す。時に黄冠六名有り。内、二名は首里の士家、一名は泊の士家、一名は那覇の士家、二名は無系なり。各銅銭二千貫文を将て公に奉借す。又、首里人黄冠二名、各銅銭千貫文を将て公に奉借す。又、筑登之座敷十五名、内一名は兼城郡人、四名は具志頭郡人、十名は本部郡人なり。各銅銭千貫文を将て公に奉借す。又、首里の無冠一名、銅銭二千貫文を将て公に奉借して、以て要用を弁ず。法司具題し、嘉数・玉城・照屋の祖母三名を賞して、或いは譜代籍に陞せ、或いは新家譜を賜ふ。首里・泊・那覇人六名を賞して各階を越えて座敷位に陞せ、首里人二名を賞して各当座敷位に陞す。兼城郡・具志頭郡・本部郡の人十五名を賞して各黄冠位に陞せ、首里人一名を賞して階を越えて筑登之座敷位に陞せて、以て褒典を示す。