[本文1794]【本年、武氏鉢嶺親雲上喜央を遣はして姑米島を指揮せしむ。】姑米島の仲里・具志川両郡、倶に困疲に及びて貢賦を欠し、兼ぬるに土俗の美ならざる有り。是れに由りて、特に武氏鉢嶺親雲上喜央を遣はし、在番と協同して以て指揮を行はしむ。該嶺、島に就きて以来、凡事細さに在番と議し、百姓を指揮す。但々該両郡、居民素より少し。且耗牛を畜し農器を備ふる者も亦多からず。農民、毎に畜備の家に向き、農事の隙を窺ひ、借り来りて耕種し、聊か以て用を弁ず。故を以て農桑の諸務、屡々時節を失し、毎年栽うる所の稼穡、強半登らず。煢々たる小民共に困窮に坐す。上届丑年、朝廷、銅銭八万貫文を発動し百姓に借給す。且該嶺も、亦自ら銅銭二万貫文を発出し百姓に恵給す。是に于て該両項の銅銭を将て、耕牛併びに鉄鍬・鉄x・鉄鎌・鉄鍬鑿等の器を購ひ備へて、其の用に乏しき者を察して以て分授を行ひ、以て耕耘を得しむ。是れに由りて、百姓人等欣々然として先を争ひ後るるを恐れて力を南畝に尽くし、少しも怠惰する無し。又、該両郡は従前土地荒蕪にして多く無用に置き、百姓人等飯食続ぎ難く、屡々倉米を賜借するを蒙り、聊か日食に備ふ。其の数を総計するに共に五百七拾余石に及ぶ。但に此れのみならず。両郡の織婦、公布を織るの器を備ふる無し。上は公布より下は官布に至るまで、皆力の織作する無く、全弁する能はず。該嶺島に到るの後、善く両郡百姓をして広く地畝を闢き蕃薯を栽植せしむ。時に厥の後より両郡の百姓日食足りて饒なり。且該嶺、織布の器具を買ひ備へ、織婦に分ち給す。其の後弁ずる所の公布・官布は、毎年額に照して納清す。又該嶺、両郡の地勢を観察し、百姓に着令して、海浜・山藪及び隙地に於て蘇鉄を栽植せしむ。且其の種を播きて以て凶年の需に備ふ。又、広く桑苗及び藺・棕梠等の物を植ゑ以て島の用に備へしむ。又、両郡は従前、棉花・烟草等の物を栽植するもの多からず。百姓人等、時に常に他島に買ひ来りて以て日用に備へ、甚だ便利ならず。該嶺、百姓に着令して広く之れを栽植せしめ、以て其の用を裕にす。又、具志川郡に素大原有り。其の周囲を量るに幾んど二里余に及び、地性又善し。而して水の汎用する無きに因り、百姓都て来耕するを厭ふ。該嶺、即ち新に泉井を掘りて以て汲用を得しむ。百姓皆欣然として、争ひ来りて以て耕種を為す。又、山蔵山川地に両堤井有るも、其の泉他に漏れ汲用を敷かず、附近諸村甚だ用に乏しきに苦しむ。該嶺、百姓をして両井を修葺せしめ、再び前の泉を得て以て汲用を裕にす。又、仲里郡に山城井・島尻井有り、共に大破を致し、泉水至って小し。其の附近の四村に有る所の水田、多く乾涸に就き、耕耘を妨ぐるを致す。該嶺、修葺を加へしめ、仍りて前の泉を得。而して水田も亦耕耘に便する有り。又上届卯年、暴風吹き起り、栽うる所の蕃薯悉く吹損を致し、日食続ぐ所、料るに続ぎ難きに在り。該嶺、其の景況を見、即ち麦種を買ひて百姓に分ち与ヘ、之れを播き之れを種ゑて以て日食を続がしむ。是に於て該両郡吏役・百姓等、該嶺の島の為に益を貽すこと有ること、担に前項の如きのみならず、其の外儘く照料を行ひ、益を島中に貽すこと勝げて数ふべからず。風俗に至りても亦善美に就く。但々諸凡の貢賦今仍、納清する能はざる者は、蓋し居民素より少く、地を受くること分を超え、兼ぬるに公布・官布・公役等の事有りて、耕稼に暇あらざるに由るなり。然れども今該嶺の島を治むるの事を論ずるに、将に諸凡の事務全く其の謀を遂げ、両郡色を起して日後疲を変じて興に就くを見んとす。乞ふ、該嶺、島の為に益を貽すの功有るを察し、更に其の日久しく郷を離るるの苦を吃するを憐み、其れをして解任して郷に帰らしめ、因りて指揮の事を将て在番に転授して代弁するを准せと呈称し、在番及び筆者・両郡惣地頭印結を加具して朝廷に禀明す。法司王に奏し、焉れを允す。丙午の年に該嶺をして故郷に帰るを得しむ。其の功に報ゆるの典に至りても、亦王子使者曁び按司使者の与力の功に比同して、一律に挙庸するを准す。