[本文1795]【本年七・八両月、rqル国海船三隻の漂来する有り。】是の年七月十七日、其の船一隻有り、人数六十七名、内五十五名は黒人・二名は広東省人なり。北谷郡の洋面に漂来し、礁を衝きて損傷す。即ち修葺するを請ふ。原船は正に修理の際に在り。八月初四日に於て、該難人等口称す、本国船隻、現に広東省に収到する有り。必ず船上人等一十一名を撥し杉板に坐駕して、該省に前み赴き、其の信を本国に転寄せしめんとす等語と。乃ち告暁して云ふ、汝等の原船、修葺将に成らんとす。杉板を遣発するを庸する勿しと。即ち云ふ、其の音信は早く報ぜざるべからずと。遂に是の日に於て開駕す。又、八月二十一日、該国海船両隻有りて、那覇外洋に収到して抛碇す。一隻は人数一百五十人、一隻は一百十五人なり。即ち漂来の情状を訪ふに、該難人等手を以て比勢して曰く、曾て本国人一十一名有りて杉板に駕坐して広東に前み到り、説くらく、原船、琉球国北谷郡洋面に漂到し、礁を衝きて損傷し、現今該国にて工を起し修葺すと。此れが為に特に来りて報信す。但々他国に在りては全く修整し難きを恐る。故に両隻に分駕して前み来り、迎接せん等の縁由と。該難人淹留の間、其の請ふ処に拠り、牛・豚・羊及び各色の物件を酌与す。一隻は是の月二十三日に起碇して開駕し、一隻は該破船の修理完竣するを待ち、九月初四日に至りて一斉に放洋して去る。