[本文1878]【本年、久米島に屡々西洋夷船の到来する有り。】此の年二月十六日、西洋夷船一隻の久米仲里郡儀間大口の洋面一里許りに駕到する有り。既にして八名の杉板一隻に坐駕して浜に来りて上岸する有り。手を用つて比勢し活牛を請求す。該島人再三推辞するも、而も肯へて聴従せず。乃ち推辞するに法無く、活牛二疋を発給するに、立即帰去して本船に至る。薄暮酉戌方に向ひて駕去す。三月十一日、又西洋夷船一隻の該郡儀間大口の洋面三里許りに駕到する有り。竟に一十四名を将て、杉板二隻に分駕して、来浜上岸し、手を用つて比勢し牛・羊・鶏を求むること有るに像たり。該島人推辞するも、而も肯へて聴従せず。遍く村中及び田野を行き、強ひて蔬菜物の類を取り、帰りて浜に集む。遂に活牛二疋・活羊二疋・活鶏二隻を給す。該夷乃ち西洋花布二切を将て識を致す。即ち固辞を行ふも、而も聴従するを肯へんぜず、勒ひて布疋を置き、牛・羊等を将て、杉板に装載し、本船に駕回す。天暮るるの時に至り、申酉方に向ひて駛去す。二十六日、又西洋夷船一隻の久米具志川郡番瀬の洋面三里許りに駕到する有り。竟に二十七名を将て杉板四隻に分坐し、大田村の浜にj来して上岸し、満処巡行し蔬菜物の類を強取す。既にして手を用つて比勢し、牛・羊を求むること有るに像たり。該島人推辞するも、而も聴従を肯へんぜず。却って牛・羊を強取するの行状有り。乃ち法の請辞する無く、活牛四疋・活羊四疋を発給す。該夷乃ち西洋花布六切を将て謝を致す。随即固辞を行ふも、而も聴従を肯へんぜず、勒ひて布疋を置き、本船に帰到す。申刻に至り、戌亥方に向ひて駛去す。四月初九日、又西洋夷船一隻の久米仲里郡真泊の洋面三里許りに到りて巧駕往来する有り。竟に一十二名を将て杉板二隻に分駕し、来浜上岸す。手を用つて比勢し牛を求むるの状有り。該島人推辞するも、而も聴従を肯へんぜず、却って村中に犯し入るの状有り。乃ち奈んともする無く、活牛二疋を発給す。該夷乃ち西洋花布一端併びに布成汗一領を将て謝を致す。随即固辞を行ふも、而も聴従を肯んぜず、勒ひて其の件を置き、酉刻駕回して本船に至り、開去す。時已に夜に入り去向を知らず。