[本文1915]【本年、兼城・高嶺・豊見城三郡の土民の功労を褒嘉して各爵位を賜ふ。】兼城郡武富村の後原に有る所の産米四十三石起余奇の水田は、専ら天沢に頼りて以て耕種を為し、小旱に逢ふと雖も水涸裂し易し。其の田の附近に泉有り。混々として昼夜を舍かず。若し其の地に水塘を掘り闢き、其の三面を将て石を築きて囲と為し、水道を決排して、水をして該田に注入せしむれば、必ずや其の水常に満つること有りて、旱魃に逢ふと雖も、而も涸に就くの憂無からん。但其の工費を計るに、殆んど銅銭一万三千貫文余零に及ぶ。是れ疲村の弁ずべきにあらず。幸に高嶺郡土民一名・豊見城郡土民一名・兼城郡土民十一名有り。各自ら資を捐して水塘を掘開し、永く利益を貽す。是れに由りて各爵位を賜ひて以て其の功を表す。