[本文1944]【本年、八重山島竹富村の大山筑登之の功労を褒嘉して爵位を賞賜す。】竹富村は、素水田無く、只旱田有るも、地皆痩磽にして産物幾ばくも無し。百姓、十室九貧にして、諸凡の貢賦以て調納し難し。上届辰年、該村の大山に着令して其の指揮を為さしむ。遵即励精して教を加へ、百姓をして力を農業に竭くさしむ。更に窮民の賦を欠く者に於ては、米を給して完納せしめ、粟種を欠く者に於ては、粟を与へて播種せしむ。駅亭を改造するの時に於ても、亦米を工役に給して以て其の力を励ます。統計するに大米五石六斗三升・粟種三石二斗五升なり。又該村と繋船の浜とは、相離るること遙遠にして、有る所の船具、搬びて村内に到り以て収護を為す。吏役等の該村に航到して上は風俗を察し下は耕耘を視るの時に至りても、亦窩鋪を起造して之れをして留居せしむ。彼此多く力役の費有り。該山、自ら資財を損して窩鋪を浜に起造するもの長さ四間・横二間、石を畳ねて壁を作る。其の修葺に至りても、亦自ら承弁を為す。時に厥の後より民、槓閧蔵護するの便を得、而して吏役の該村に航到するの時に至りても、亦其の窩鋪に寓せしめ、別造を庸せず、百姓、力役の費を免るること多し。但に此れのみならず、各村船隻、該浜に湾泊するの時も、亦公米・私項を将て該窩に収護し、島民甚だ便宜を得。是れに由りて朝廷、黄冠位を賞賜して以て其の功を表す。