[本文1960]【本年、西原郡小那覇村の玉那覇筑登之親雲上の善行を褒嘉して爵位を賞賜す。】玉那覇は、孝心甚だ厚く、特に饒かに父母の衣食を備ふるのみならず、凡事其の志す所に随ひ朝夕孝を尽くす。其の父九十一歳に登り、母は七十一歳に登りて、共に天年を終る。父母世を辞するの後に至りても、亦在すが如きの誠を尽くして以て祭祀を致す。又平日、家人に勧令し、克く職業を修めて毫も怠慢すること無からしめ、家財逐年裕に就く。且親族・姻魔謔闍ス党・老幼に至るまで、交はるに和睦を以てす。又祖家貧乏にして負債甚だ多く利息も亦高きを見て、即ち利息を賤くして銅銭を借給し、其の高利の債を償還せしむ。又其の祭祀・佳節等の日に逢ふ毎に、即ち物件を送給して以て補助を為す。至若、時に家財を動発して其の急迫を周ふ有り。現今、家道已に立ち、日食欠くこと無し。又痲疹・庖瘡曁び凶年饑歳に逢ふ毎に、親族姻幕yび村中人等の家道貧乏なる者に於ては、或いは米銭を恵給し、或いは応用の物件を送給して、以て急迫を救ふ。且送終の時、資の葬送する無き者を見れば、即ち米銭を将て之れに給し之れに借して、以て葬礼を行はしむ。又村民・郡民を論ぜず、或いは貢賦を欠する者有れば、即ち発借して完納せしむ。又去年疫癘流行するのとき、村中の貧家、資の療治する無き者有れば、該覇、銅銭二千貫文を動発し、利息を加へずして村に借給し、名を按へて均しく支す。且貧家を視察して、給するに米銭を以てす。又郡中の疲村に至りても、銅銭一万貫文を将て、利息を加へずして郡に借給し、郡吏をして其の困疲の深浅を察して其の銭を配給し、以て療治に便せしむ。且該疲村、大米一包を収獲するの地畝を将て、銅銭千二百貫文或いは千五百貫文の利息に扣抵して借銭すること甚だ多く、而も財主に交給するの地も亦少からず。該覇、其の利息の高きを見て、大米一包の地畝を将て、銅銭二千貫文に限定して、自己の銅銭九万四千百六十貫文を借給し、其れをして旧債を償還せしむ。其の賤息の余は、一年に大米六石余有り、甚だ利益と為る。而して他家の財主も、亦該覇此くの如く籌画し善を尽くすを以ひ、其の借給の銅銭を将て、尽く賤息を許す。其の賤息の余を将て、毎年旧債を債還し貢賦を奉納して漸く興旺に就く。又該郡有る所の土地君廟は、甚だ破窒ノ及ぶ。該覇、自ら資斧を捐して固く修葺を行ふ。其れ郡の為に益を貽すこと少からず。郡民人等感服せざるは無し。是れに由りて朝廷、勢頭座敷位を賞賜して以て其の行を表す。