[本文1963]【七年甲寅、武世英渡名喜親雲上宗珍曁び兼城・豊見城・宜野湾・中城・北谷五郡の人民十六名を褒嘉して皆爵位を賜ふ。】高嶺郡の与座河は源遠流長にして、高嶺・東風平両郡百姓人等、其の水を田畝に注入して大いに耕種の利を得。惟々是れ水道屡々破れ、経に修を加ふると雖も、歴久を保ち難く、水勢逆流し、旱魃の時に当りては、汲水入田の便を得ず。重修を賜ふを乞ふ等の由、両郡吏役曁び各両総司、朝廷に禀請す。当経に武世英をして其の奉行に充て、遵即慮を発し百姓に着令して岩を刻み土を闢きて固く修葺を行はしむ。時に厥の後より水已に順行し、両郡永く耕種の益を得。又其の修を加ふるの時、費す所の銅銭、尚一万六千貫文の欠有り。時に兼城等の五郡の人民十六名有り。各資財を動して其の不足を補ふ。是れに由りて朝廷、武世英を賞して申口座位を賜ひ、十六名を賞して各爵位を賜ひて、以て褒典を示す。