[本文1995]【本年五月初八日、西洋船一隻有りて、八重山島宮良郡志良波村の洋面に到来す。】此の日、西洋船一隻有りて、八重山島宮良郡志良波村の洋面に停泊す。岸を離るること約五百尋許り。翌日に至りて、夷人九名・華人一名、脚船に坐駕して、j来し上岸す。随即其の来歴を問ふ。称に拠れば、亜米理幹国船隻に係り、通船の人数共計亜人三十六名・華人六百名。嘗て広東に在りて、開船し帰国するも、洋中に駛到するのとき風に遇ひ、モを折り、修葺を加へんとして貴島に収到す。三四日の間にして修竣り帰去せん等語と。既にして番薯を求むる有り。随ひて五十z許りを給す。該亜人、謝を称して本船に駕回す。初十日に至り、又亜人十名・華人一名有りて、脚船に坐駕して、j来し上岸す。即ち酒瓶三個・光餅一包を将て、強ひて通詞役等に給し、本船に駕回す。十二日に至り、又活鶏五隻・番薯百zを求むる有り。随ひて発給を行ふ。該亜人、謝して白豆五升併びに巻烟草を装入するの小匣一個を送る。本日、開船して帰り去る。