[本文2013]【本年七月初八日、宮古島より風に漂するの阿蘭国人を送り来る。】此の年閏五月二十七日、異国船一隻有りて、宮古島の属多良間島他嘉田の洋面に漂到す。通船人等、杉板二隻に配坐し、前泊に盪来す。本所の胥役人等、往きて該場に到るに、只、難人二十七名(内一人は婦女、一人は幼女)、諸器物を携帯して上岸するを見る(櫓十個・楫二把・円木二本・杉板檣一本・術玉五個・布帆大小三幅・帆繩三十二条・塩肉を装入するの桶子一個・鏡一面・遠鏡一個・書籍を装入するの銅匣二個・錫匣一個・黒漆長箱一個・螺貝一個、諸国画図一巻・鉄炮七丁・大刀一把・光餅を装入するの衣袋一包・衣裳を装入するの布袋大小二十六包・銅鉢一個・活猫一口・活犬一口)。即ち該難人等を将て、仕上世家に召入し、湯を飲ませ粥を喫せしむ。其の来歴を訪ふに、言語文字都べて是れ通ぜず、手を以て様を作し、恍として擱礁して船を砕き上岸して活命するの意を示す。又此の家、海に近くして居住するに便ならず、村中に棲寓せしむるを請ふの意を示す。該胥役等、其の疑ふべき者無きを見て、駅亭に率ゐ到りて安頓収養す等の由、六月初四日、飛船の報じ来る有り。即ち唐栄の大夫・通事曁び諸役人等を遣はし、之れが為に籌画せしむ。該大夫等、已に行装を備へ、将に該島に赴かんとす。但海を隔つるの小島、供応の週からざるを以て、本日送りて狩俣郡狩俣村安他古里地方に到る。随即在番・吏役等、親しく該場に赴き、通詞役をして其の来歴を問はしむるに、言語文字略一二を通じ、之れに兼ぬるに手を以て様を作し、阿蘭国商船に係り、上海県に在りて開洋し、新嘉波拉に到らんとし、半洋に駛せ到るのとき、ユに大風に遇ひ、貴島に漂来して、擱礁し撃砕す等の由を答示す。即ち狩俣駅亭に率到して安頓収養す。初五日に至り、該難人頭目等、手を以て様を作し、早く内地に送るを懇請す。即ち通詞役をして答へしめて云はく、此の事、曾て已に内地に報明す。其の覆の到るを俟ち、方に解送を行はんと。該頭目等、色を変じて答へず。初六日に至り、赫然として奮怒し、手を以て様を作し、今を以て当に内地に解送すべし、否ずんば則ち鉄炮を放ちて人命を損はんの意を示す。乃ち已むを得ずして遂に云はく、風を候ちて解送せんと。七月初六日に至り、該難人等、示すに今日開船して内地に解到せよの意を以てし、皆貨物を帯び起身して出で来る。即ち通詞役等を遣はし、難人に随同せしめ、杉板二隻に配坐して平良郡の属張水油に盪ぎ到り、馬艦二隻に移駕し、宰領人を派撥して、連開洋す。初八日に至り、那覇湊外洋に送到す。随即摂政以下の官役等、那覇に往到し、唐栄の大夫・通事を遣はし、其の来歴を問はしむるに、該難人等、答ふるに前由を以てし、即ち早く上岸せしむるを請ふ。随ひて人数併びに貨物を将て、暫く臨海寺に卸来し、給するに茶イ点心を以てす。該頭目問ひて曰く、我等をして何処に棲寓せしむるやと。即ち答へて曰く、聖現寺に安頓すと。該頭目又曰く、我は是れ妻を帯びて同に来る。懇乞す、館を分ちて居住せしめよと。即ち該頭目夫婦を将て、該寺拝殿に安頓し、其の余を将て、寺裡に安頓し、意を加へて収養す。嗣いで毛有増(国吉親方)を遣はし、地方官と称して唐栄の大夫・通事を率同し、礼物(甘蔗六個・西瓜十個)を恤給し、其の安否を問はしむ。該難人等、大いに喜びて鳴謝す。又其の衣服等の類の全備せざるを見て、即ち諸件(白木綿布二十七端・蚊帳五床・烟草十三z・木套二十七双)を酌給し、以て其の用に充つ。又通事を遣はし、問はしめて曰く、何如にして回国するやと。該難人等、貢船に附搭して中華に解送せんことを請求す。即ち辞して曰く、本国の貢船は、坐駕の人多く以て搭送し難しと。該難人等又曰く、近日若し西洋船隻の到来すること有れば、則ち其の回国の便に搭駕して回籍せん。若し到来せざれば、則ち貢船メに入るの時に、書を華に留まるの官員に寄せ、西洋船隻を招来し、搭駕して回籍せんと。九月二十三日に至り、異国船一隻の泊村洋面に到来して抛錠停泊する有り。随即摂政以下の官役等、泊村に往到し、唐栄大夫・通事を遣はして、其の来歴を問はしむ。称に拠れば、阿蘭国商船に係り、通船の人数共に三十七名。曾て日本の長崎地方に在りて、該国船隻、本国に漂到し、擱礁撃砕すると説くを聞き、今、難人を迎接せんとして到来す。本船、将に明朝開洋し回去せんとす。食物・柴薪を発売して以て難人船上の用に備へんことを懇求す。且其の漂到以来、毎日給す所の物価、将に償還せんとす、更に乞ふ、估算して布告せよ等語と。即ち云ふ、今、該難人等、風に遭ひて漂来す。情、殊に憫むべし。領価を消せず。食物・柴薪に至りても、亦応に明朝委員発給すべしと。該蘭人等、大いに歓びて謝を称す。翌朝に至り、諸物(白米二斛四斗三升・番薯千六百二十z・蔬菜五百四十z・活猪三口・活鶏五十隻・鶏蛋三百個・柑子五十個・菓子五十個・柴薪六十ケ)を酌給して以て食用と為す。又其の衣服備らずして寒に耐へ難きを憐み、即ち綿襖各一件・綿q各一条を給す。該難人等、逐一収領し、本船に搭駕し、揚帆して去る。